近代文学合同研究会 第9回シンポジウム開催のお知らせ

テーマ :  批評のスタイル/創作のスタイル
日 時 : 二〇〇八年十二月二十日(土)午後一時より
会 場 : 慶應義塾大学三田キャンパス第一校舎一三二教室
(会場までのアクセスについてはhttp://www.keio.ac.jp/access.htmlをご参照下さい)

○スケジュール
午後一時?三時一〇分  パネリスト(三名)による発表

石橋忍月初期作品における〈批評〉の水脈
―『一喜一憂捨小舟』『お八重』『露子姫』を中心に―  富塚 昌輝

「純粋」さを追うことと「純粋」に失うこと            疋田 雅昭

創作/批評の言語行為論                  山本 亮介

司会 柴 市郎

三時一〇分?三時四〇分  休憩、及び質問アンケート用紙記入、提出

三時四〇分?六時頃まで  会場参加者を含めての共同討議


○司会のことば(柴 市郎)

逍遥・四迷、鴎外・漱石など、日本の文学において節目をなす作家たちはその多くが批評家でもあったという自明の事実は、創作が批評を内在させ、かつ批評が創作を内在させてきたことを物語っている。このような視点からは、こんにち一般的に見られるような作家と批評家の分業制こそ、文学史のなかではかえって例外的な事態であるとも言える。

シンポジウムの表題にある「スタイル」という語は、もちろん狭義の文体という意味にとらわれることなく、文学・芸術のさまざまなジャンルを横断しつつ思考することを可能にする問題設定である。今回のシンポジウムではどのような論点であれ、可視化されにくい批評と創作(小説に限らず)がもつれあう動態へどのように切り込んでゆくことができるかがひとつの鍵を握っているだろう。それは、表題にあって「批評」と「創作」の間に置かれている「/」が、どれだけのヴァリエーションをもって読みかえられ得るかということとも関わっている。だから、司会者のつとめは「/」についての共通理解を引き出すことではなく、「/」をめぐる錯綜にきちんと向き合うことから始まるのだと考えている。

○発表要旨

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〈お知らせ〉
二〇〇八年十二月に『近代文学合同研究会論集第5号 想像力がつくる〈戦争〉/〈戦争〉がつくる想像力』が発行されました。定価一〇〇〇円です。

【目次】
〈軍国の少年〉の過去・現在・未来―『少年倶楽部』と満州事変― 松村 良
直木三十五の〈戦争未来記〉―自称「フアシスト」の戦争文学(1) 杉山欣也
「従軍」言説と〈戦争〉の身体
―「支那事変」から太平洋戦争開戦時までの言説を中心に    副田賢二
〈皇民文学〉と〈戦争〉―王昶雄「奔流」ノート―            和泉 司
「陶酔の境」への想像力―井伏鱒二「遙拝隊長」について     大原祐治
「となり町戦争」論ノート―豊かで偏頗な「僕」の想像力       五島慶一

第9回シンポジウム会場で販売しております。(合同研究会の二〇〇八年度会費を払っている方には無料で進呈します)
○発表要旨

富塚 昌輝「石橋忍月初期作品における〈批評〉の水脈 ―『一喜一憂捨小舟』『お八重』『露子姫』を中心に―」

坪内逍遥『小説神髄』(明18)以降、いわゆる〈近代小説〉創出の運動が始まった。時を同じくして、高田半峰「当世書生気質の批評」(明19)、徳富蘇峰「近来流行の政治小説を評す」(明20)などが書かれており、関良一の言うように「「近代小説」ないし「近代作家」の「誕生」期は、「近代批評」の「誕生」期とも重なり合っていた」のである(『逍遥・鴎外―考証と試論』)。〈批評〉論の側に目を向けるならば、逍遥口述「批評の標準」(明20)、大西祝「批評論」(明21)などがあり、文芸批評の枠をはずして見るならば、「我国ニ於テ著書出版ノ批評ヲ専門トスル雑誌ノ嚆矢」を謳う『出版月評』の発刊(明20)など、この時期は広く〈批評〉が問題化された時期であった。

この期に活躍した批評家に石橋忍月がいる。「妹と背鏡を読む」(明20)、「浮雲の褒貶」(明20)、「浮雲第二編の褒貶」(明21)など旺盛な批評活動を続けた忍月は「当世批評家三幅対」(『読売新聞』明23)に挙げられるなど、当代批評家の代表選手であった。同時に忍月は小説家でもあった。初期のものとして『一喜一憂捨小舟』(明21)、『お八重』(明22)、『露子姫』(明22)などがあるが、忍月の小説は、内田魯庵が「余は既に「捨小舟」に於て失望せり、「お八重」を読んで更に失望せり。」(「忍月居士の『お八重』」明22)と述べ、また後年には吉田精一が「いずれも凡作・愚作・劣作ぞろい」(『近代文芸評論史』)と述べたように、今日まで評価は高くない。しかし、小説表現の側面に注目するならば、宇佐美毅氏が指摘するように、同時代的な課題を共有していたのである(『小説表現の近代』)。

本発表では、忍月の初期作品を中心に、特に表現の面から考察を加えたい。いわゆる「作者の顔出し」を多用する忍月に対して、魯庵は「「お八重」の著者は何故に読者作者等の文字を濫に挿入して悲哀的の趣向を破りしや、何故に心中を心理的に写して余味を読者の想像に任せざるや。」と述べるが、この指摘は、アラウンド明治20年、小説表現における作者と読者、創作と受容の関係性が大きく変動する岐路にあったことを予想させる。その背後に、〈近代小説〉と〈近代批評〉とが同時期に問題化された文脈を見据えることで、小説のスタイルと批評のスタイルとの関係性について若干の問題提議をしてみたい。


疋田雅昭「「純粋」さを追うことと「純粋」に失うこと」

私の様な若輩教員でも、一体「文学」とは何なのか、という質問を受けることがある。むろん、若い時分に自分自身が先輩なり恩師なりにも発してしまった恥ずかしい過去でもあるが、修羅場をくぐってきた強者たちは、それを知ること自体が文学の目的であるなどと禅問答の様なこと答えてきた。「……とは何か」というのは、本来答えのない質問なのかもしれない。現代文化批評家でもある高田明典は、そうした質問を〈問形式0〉とよんだ。高田は、そうした意味のない形式であるWHATを、意味のある質問形式HOWに変換することを構造主義的思考の現代的意義として提唱している。こうした哲学的示唆により先の質問を鑑みれば、文学批評とは多くの場合、〈問形式0〉ということになってしまう。ところが、ここで考えたい問題はそこではなく、HOWを志向した批評であっても、文芸批評の場合、簡単に〈質問形式0〉に陥ってしまうという事実である。

急いで付け加えておかなければならないことは、ここでいう文芸批評とは、社会批評や自己表象と多分に癒着した小林以後の戦後的文芸批評のことではない。まさに、文学自体の有り様に原理論的に向き合っている、実作と共にあるような批評のことである。批評と実作の呼応関係には、美学と同質な批評の不可能性がつきまとっている。こうした不可能性の問題を考えるには、モダニズム・アヴァンギャルドの領域が最も適していることは、言うまでもないだろうが、実はこの分野の批評には、批評の不可能性に加え、実作との不可分性という問題にもつながっている。

こういった問題を、主として「詩と詩論」に掲載されている「純粋」という語をめぐる議論を通して考えてゆきたい。


山本亮介「創作/批評の言語行為論」

ロラン・バルトは、「作者」亡き後の「現代の書き手」を想定するにあたって、言語行為論が喚起したパフォーマティヴな「主体」像をイメージしていた(「作者の死」)。だが、バルト自身「稀な言語形式」(同)と呼んだ行為遂行的発言を〈創作〉のそれに重ねることは、言語行為論が本質的に抱えているクリティカル・ポイントを明らかにすることにもつながる。言語行為論では、行為遂行的発言に対する判断基準として、真/偽ではなく適切/不適切の観点が導入される。ただしそれは、〈創作〉などに現れる発話行為をイレギュラーなものとして考察外に置くことと結びついている。脱構築の論法に従えば、イレギュラーとみなされたものこそが〈正常な〉行為遂行的発言を可能にしている、結局のところ、言語行為論には、何らかの発話形態をあらかじめ排除する目的論的倫理性が隠されているのだ……。

このように言語行為論が脱構築されるとして、一方、当の発話「主体」に関する問題が雲散霧消するわけではなかろう。近代「作者」なるシュタイが解体された(とみなされた)あと、その空の場所をめぐる考察はどうあるべきか。今度はおそらく、言語行為論の倫理学そのものを議論する必要があると思われる。問いは〈創作のスタンス〉と、それを対象とする〈批評のスタンス〉に、あらためて関わってくるようだ。パフォーマティヴな「主体」において倫理性を想定することは可能か、「現代の書き手」なるものはみずからの発話内容に対して「責任」を取りうるのか。そして、〈創作〉における倫理性の有無を指摘する際に〈批評〉が置かれる立場とは? 小林秀雄の発言などを「ダシ」にしつつ、こうした問題を考えていくことができればと思う。
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近代文学合同研究会

「近代文学合同研究会」は、主に東京近郊の近代日本文学を専攻する大学院生有志が集まって、1995年7月に活動を開始しました。現在、学習院大学、慶應義塾大学、中央大学、立教大学などの大学院生を中心に、四十名程度の会員が参加しています。基本的に自主参加・自主発表を旨とし、月に一度程度の研究発表会や読書会、また年に一回のシンポジウムを中心に、様々な活動を行っています。今後も研究発表・論文批評・読書会の場として、会員の自主的な活動に基づいて活動していきたいと思っています。

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