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「近代文学合同研究会論集第3号 〈講談社〉ネットワークと読者」

【目次】
 対米開戦前夜の『少年倶楽部』と読者たち(五島慶一)
 太平洋戦争開戦前後の『キング』掲載小説をめぐる一考察
  ―その「採掘」イメージの構造と意味(副田賢二)
 〈私たちだけの世界〉の行方
  ―『少女の友』の読者ネットワークと川端康成―(三浦卓)
 戦後の「少年クラブ」のゆくえ(松村良)
 舞城王太郎とライトノベルを巡る考察(守屋貴嗣)

 *論集は、シンポジウム、各種学会、通信販売などで頒布しています。
 *通信販売については、こちらをご覧下さい。
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第7回シンポジウム「展示される文学―人・モノ・記憶―」

「展示される文学―人・モノ・記憶―」


原卓史「日本近代文学館の誕生」
日高佳紀「〈文学碑〉を考える―関西における谷崎文学碑の場合―(仮題)」
高島健一郎「付加〈商品価値〉としての顔と筆跡(仮題)」

司会:天野 知幸・五島  慶一


○司会の言葉
 「文学を(が)展示する(される)」ということはいかなることなのか。
 一回的なものとしての作家展や、永続的なものとしての文学館などが、開催・開設され続けている。その主催者たちは、一体そこに何を表現しようとしているのか。その場に足を運ぶ人々は、一体何を求めているのか。表面的には様々であろうその動機を、根柢で支えている〈共同幻想〉が仮にあるとすれば、それは何であるのか。ここで改めて考えてみることは、決して無駄ではないだろう。
 今回は、会員外の方も含めた三人のパネリストに、文学館や文学碑、或いは肖像・手蹟等によって呈示される作家のイメージといったところまで含めて、幅広い問題提起をお願いした。会場の参加者と共に、広く文学と展示に纏わるダイナミズム力学の諸相を考えてゆけたらと思っている。多くの参加者の積極的な発言を、切に希望するものである。

○発表要旨
島健一郎「付加〈商品価値〉としての顔と筆跡 ―全集「附録」の役割と影響―」
 「近代文学全集」に類するいづれの全集を見ても、そこには共通の特徴が見られる。それは、巻頭に収録作家の顔(あるいは、全身)写真が掲載され、巻末には略年譜が付されているという点である。中には―特に最近のものになるに従って、か?―、直筆原稿やその作家の愛用品など、さらには年譜をアルバム仕立てにしたものまで見られる。
 ここで疑問となるのは、それらの写真・年譜が何のために必要とされているのか、という点であろう。もちろん、これが「古典文学全集」であれば、さらに時代が古ければ古いほど、図版・年譜(年表)は必要となってくる。その時代の一般的な生活様式や著者の置かれた環境などが分からなければ、作品そのものが読めなくなるからである。
これを現在から見た近代、特に明治期に当てはめて考えれば、それは同様だとも言える。しかし、「近代文学全集」の魁とされる「円本」に当てはめようとすると、事情は変わってくる。改造社版『現代日本文学全集』の刊行が大正15年の12月、それに続く春陽堂版『明治大正(昭和)文学全集』が翌昭和2年の6月。改造社版が言うように、まさに「現代」であり、同時代を生きる(生きていた)作家の作品である。となれば、そこに付された写真・図版・年譜などの「附録」が果たす機能は、古典文学のそれとは同じではない。
 そこで、今回の発表では、同時代の作家における写真・年譜などが、「全集」に収録された際に担った役割とは何であったのか、この問題を2つの観点から検討していきたい。1つは、出版社が期待したものは何であったのか、という作り手側の問題である。自分はこれまで、「円本」に関する出版社の販売戦略という問題を中心に考察してきた。ここでも、それらの「附録」が「全集」としての価値を高めようとする営為の中で、いかにその価値が見出され活用されていったのか、という形で検証してみたい。
 また、もう1つの視点は、読者(ここでは作家自身も含む)はどのようにそれらの「附録」を享受したのか、ということである。言い換えれば、それらの「附録」にどのような価値を見出し、作品読解の上でどのように活用したのか、ということになる。
これらの問題を、当時の出版・読書情況や、その後の文学全集、あるいは文学研究への影響とも関連づけながら、考察してみたい。

日高佳紀「〈文学碑〉を考える ―関西における谷崎文学碑の場合―」
 万葉集歌碑や芭蕉句碑といった古くからある石碑ではなく、近代文学の作家・作品を顕彰する目的で立てられた狭義の〈文学碑〉は、戦後間もない時期に作られたのが始まりとされている。それらが建立された際の経緯に、地域共同体と交通・観光などの産業資本とが相乗りした、文学の消費形態が認められることは言うまでもないだろう。
 注目したいのは、生誕地や旧居を示すものや墓碑等といった作家と直接的な関わりを持つ場所に建てられたものではなく、文学作品の舞台に建てられた、いわゆる「創作文学碑」である。作品に描かれた土地を訪ねる際、書物の言表イメージから想起された物語空間と、その場所で知覚する風景等のイメージの間でせめぎ合いが起こることは避けられない。そうした受け手側の認識において、文学碑はどのような位置を占めることになるのだろうか。
 今回の報告では、関西に建立された谷崎潤一郎関連の文学碑の中から、以下の創作文学碑を取り上げる。
・京都府八幡市・石清水八幡宮展望台の『蘆刈』文学碑(1986.7建立)
・兵庫県芦屋市・東芦屋町開森橋東詰ポケットパーク内の『細雪』碑(1986.4
建立)
・大阪市中央区道修町・少彦名神社参道入口の『春琴抄』の碑(2000.12建立)
 特に谷崎の作品を取り上げることにしたのは、実生活および創作において、関西の土地と極めて有機的なつながりをもった作家だからである。むろん、ここで取り上げる文学碑はそれぞれ個別の地域共同体による実践例である。したがって、単純な一般化を避けて、まずは個々の事例に即しながら文学碑を取り巻く事象を追ってみたい。その上で、観光学(ツーリズム)の切り口等を援用しつつ、文学碑そのものの形態、その立地の特質、さらには碑文に刻まれたテクストの分析などを通して、都市空間における視線(まなざし)の政治性と、「文学体験」がフィクショナルなかたちで構築される状況について考えてみたい。

原卓史「日本近代文学館の誕生」
 日本近代文学の関係資料の散逸が危惧されるようになった昭和三十年代、文学館設立の機運が高まっていった。高見順、伊藤整、小田切進らが活動の中心となり、多くの作家・評論家・研究者が賛同し、さらには政界や財界を巻き込み、日本近代文学館が設立されることになる。その目的は、資料の収集・保存、利用者への展示・閲覧であった。一方、利用者も蔵書の寄託・寄贈を通して文学館に関わっていく。本発表では、作家、評論家、政治家、経済人など、様々な立場の人々が「文学」に関わる欲望を交錯させる場として日本近代文学館をとらえ、人と「文学」、人と文学館の関わりについて考察していきたい。

ご紹介

近代文学合同研究会

「近代文学合同研究会」は、主に東京近郊の近代日本文学を専攻する大学院生有志が集まって、1995年7月に活動を開始しました。現在、学習院大学、慶應義塾大学、中央大学、立教大学などの大学院生を中心に、四十名程度の会員が参加しています。基本的に自主参加・自主発表を旨とし、月に一度程度の研究発表会や読書会、また年に一回のシンポジウムを中心に、様々な活動を行っています。今後も研究発表・論文批評・読書会の場として、会員の自主的な活動に基づいて活動していきたいと思っています。

「近代文学合同研究会」では、会員、各イベントの参加者を募集しています。近代日本文学の研究に携わっておられる方であれば、どなたでもご参加頂けます。
メールはこちらからお送りください。

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